MAX 監督・脚本 : メノ・メイエス 出演 マックス・ロスマン・・・・ ジョン・キューザック アドルフ・ヒトラー・・・・ ノア・テイラー リセロア・・・・・・・・・・・・ リーリー・ソビエスキー ニーナ・ロスマン・・・・ モリー・パーカー (2002 ハンガリー=カナダ=イギリス合作) もしも、ヒトラーが画家になっていたら、歴史は変わっていただろうか。 事実、あの悪名高き独裁者ヒトラーは、青年の頃画家を目指していたのだ。 映画の主人公、マックス・ロスマンというユダヤ人の画商は架空の人物である。 しかし、ヒトラーの描いたものを売りさばいたり、彼と親しくしていたユダヤ人の画商というのは実在しており、それらの人々は当時のヒトラーがユダヤ人と親交が多く決して反ユダヤ主義ではなかった事を証言している。 マックスの主催する画廊でのパーティー。 裕福な人ぴとの集まる場に、汚れた身なりのアドルフ・ヒトラーが飲物を配達しに来る。 すっかり日の暮れた画廊の外で、マックスとアドルフは運命的な出会いをする。 立ち話をするうち、二人は第一次世界大戦時、同じ戦地、それも前線で戦った経験を共有している事を知る。 マックスはその戦争で右腕を失い、おそらく画家としての夢を絶たれたのだろう。 そしてアドルフも、この戦いから戻ったとき、すべてを失っていた。 けれど、裕福な家庭で育ったマックスは、美しい妻と、愛人と、順調に進んでいる仕事を持ち、豊かな生活をする人々との人脈を持っていた。 しかしその何もかもが、アドルフの手の届かないものだった マックスは、アドルフが小脇に抱えているスケッチブックに興味を示し、絵を見たいという。 そして、それをきっかけに、彼らの絵画を通した不思議な友情が始まった。 一方でアドルフは、陸軍の将校から、街頭で演説をすれぱ生活を保障するという誘いを受ける。 彼の前に、二つの道が現れる。 芸術と政治。 後日、アドルフは画集を持ってマックスの画廊をたずねた。 絵を見たマックスは言う。 「肉声が聞こえてこない。」 けれど、 「美しくなくても良い、真実を描くんだ。」 マックスはアドルフが持つ、「普通と違う何か」を感じて励まし、絵を描くための資金を渡す。 アドルフはその金で絵の具を買い、部屋にこもり、真っ白なキャンパスの前で絵筆を持った。 いざ描こうとすると、彼の手は動かない。 ただ、内面から沸き上がってくるものだけが、出口を探して暴れ回り、アドルフは苦しむ。 人一倍強い自己顕示欲。 表現されようとしてもがく自己。 しかし彼がそれを上手くキャンバスに表せないのは何故なのだろう。 なにか酷く屈折してしまったものが、感情の流れを塞いでいるかのようだ。 彼らの友情は、綱渡りのように危うく、不安定に見える。 マックスのまっすぐな友情を、アドルフが上手く受け止められないようでもある。 マックスの着ている暖かそうなコートや、明るい家や、愛情にあふれた家庭。 アドルフの寒そうな身なりと、暗い部屋と、孤独。 そしてこの二人が一番対照的なのは、その身なりでも生活でもなく、心のあり方なのだろう。 ジョン・キューザックとノア・テイラーの演技が、見事にこの対比を表現している。 ヒトラー役のキャスティングに大変苦労したという話も、ジョン・キューザックがノーギャラでこの役を引き受けようとしたというエピソードもなるほどとうなずける。 ある日、アドルフのデッサンを見たマックスは、その中に新しい表現とその可能性を感じ、我が事のように喜ぶ。 有頂天になった彼は、近いうちに必ずアドルフの個展を開くと約束をし、残りのデッサンを持って夜、カフェに来るようにと告げる。 けれど皮肉にもその日…。 このカフェのエピソードもフィクションなのだろうけど、ヒトラーのもうひとつの人生への分かれ道は、現実にもきっとあったはずだ。 どこかで、何かが違っていたら。 何か別の方向に、その人一倍強いパワーが向いていたら。 負のパワー、たとえば不安や残虐さや怒り、そういうものを芸術で昇華することもできるだろう。 彼一人ではそれが出来なかったとしても、マックスのような友人がいたらどうだったろう。 もしかしたら、その強いパワーを破壊的な方向へ向けずに済んだかもしれない。 私が何度も映像で見た、ヒトラーの強引で高圧的で自信に満ちた邪悪な姿の内側には、嫉妬と羨望と不安と恐怖がぎっしり詰まって渦巻いていたのじゃないだろうか。 人間は、理解できないものに恐怖を感じる。 そして、醜い行いやあまりに残虐な行為を理解することをストップする。 この映画の制作の際、これがヒトラーの行為への正当化につながるとの批判があがり、制作資金集めが難航したという。 独裁者アドルフ・ヒトラーを理解しようとする試みなど、タブーなのだ。 しかし私は、画家志望の貧しい青年アドルフとあのヒトラーを繋げてみることで、いっそう背筋が寒くなる思いがした。 今この世界のどこかで、史上最悪の独裁者がまた生まれ出ようとしているかもしれない。 そんな恐怖が静かに襲ってくる。 |
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運命の分かれ道となったその日、アドルフは代理演説を任されていた。 皮肉にも、この演説で、アドルフはついに聴衆の心をつかむ。 彼の反ユダヤ発言に観衆は興奮し、手を振り上げて声を揃えて賛同する。 あのテレビで何度も何度も見たことのある、ヒトラーの口調と狂ったような聴衆の反応。 アドルフの中で、何かがはじけたようにも見えた。 行き場を失い、出口をふさがれた自己が、ついにスムースに流れ出る通路を見つけたかのような。 その夜、約束のカフェで作品を持ってマックスを待つアドルフの姿があった。 自信を取り戻しつつあるアドルフが、誇らしげに抱えるデッサン。 初めて見る、かすかに安らぎを感じるアドルフの表情。 けれど、マックスはカフェに現れなかった。 誰もいなくなったカフェから、画集を持って出ていくアドルフ。 その頃、ユダヤ人であるマックスは、軍人達の手によって暴行を受け雪の上に倒れていた。 その日のアドルフの演説によって反ユダヤ主義に賛同した軍人達である。 今まさに息を引き取らんとし、血に染まった雪の上に倒れて夜空を仰いでいた。 上空から、倒れたマックスの姿を映したカメラが徐々にひいていく。 小さくなっていくマックスの姿。 アドルフを救う希望がどんどん消えて、やがて無くなる、その象徴のようでもある。 重苦しい、息苦しいやりきれなさが残る。 これから始まる、恐しい歴史的出来事を思うから尚更いたたまれない。 |
2004/2/26 |