American History X 脚本 : デイヴィッド・マッケンナ 音楽 : アン・ダッドリー 出演 : エドワード・ノートン(デレク) エドワード・ファーロング(ダニー) ビヴァリー・ダンジェロ(デレクの母ドリス) ジェニファー・リエン(ダウィーナ) イーサン・サプリー(セス) (1998 米) この映画、レンタルやさんに行くたびに、なんとなく引っかかるパッケージだったのだが、アメリカンヒストリー? ネオナチ? 兄と弟? …なんとなくバイオレンスのにおいがするので敬遠していた作品だった。 けれど、良い意味で期待を裏切ってくれたこの作品は、確かにバイオレンスシーンはキツイが、一方で真剣に人種問題と取り組み、人間同士の憎しみや怒りをしっかり見据えた作品だ。 主人公のデレクを演じるエドワード・ノートンは、『ファイトクラブ』でジャックを演じた時とは、シェイプされた肉体にスキンヘッド、まるで別人のようだ。 別人といえば、彼はこのストーリーの中で、優等生だった青年時代から白人至上主義のリーダーを経て、またその主義を捨てるに至るすべての時代を演じているのだが、その時々の変貌ぶりが見ものだ。 真面目で素直な表情をした長い髪の優等生から、筋肉で盛り上がった胸に卍のタトゥーをし、スキンヘッドにキレた目をしたネオナチのリーダーへと変わっていくデレク。 その変貌は、彼の心の中で起きている変化を見事に表していて恐ろしい。 そして、すっかりネオナチに染まった彼の姿は頼もしく魅力的で、その異常な眼差しにもかかわらず、人を引きつける何かがある。 白人、有色人種かという、両極端な問いに狂信的な結論を出したことにより、いっとき自分自身の矛盾と苦しみから解放されたかに見えるデレクは、まるで、強く輝けるカリスマだ。 彼の思想は解りやすく、自信に満ちて、言葉には曖昧さや迷いがない。 だから、怒りや不安を抱えた少年達は、それに飛びつくのだ。そして組織は拡大する。 思考をストップした彼らは、簡単に人を傷つけ、何の痛みも感じないままに命を奪う。 刑務所で、デレクの頑なな心を変えるキーパーソン、黒人のラモントの交流にとても心温まるシーンがある。 二人は、囚人達の下着やシーツを処理する仕事を日々繰り返しながら、ゆっくりゆっくりと心を通わせていくのだ。 どんなときも、人種や思想の壁をうち破るのは、こんな小さな単位のコミュケーションなのだろう。 それなのに、すっかり変わった彼が刑期を終えて出所したとき、皮肉にも弟のダニーはすっかり白人至上主義に染まっていた。 幸せだった頃の優等生のデレク、ネオナチのリーダーだったデレク、そのどちらとも違う思慮深い目をした青年になった兄は、幼い表情に不釣り合いなスキンヘッドの弟の姿に心を痛める。 この時期のデレクには、新しい信念と同時に、もろさや危うさがある。 混沌を選んだ故の彼の苦悩、自分自身の過去との戦いを始めなければならない彼の姿は、人種差別という現実と直面することの困難を象徴している。 白でも黒でもないこと、○でも×でもないこと、世の中はそういうことだらけだ。 だから生きるのは難しい、だから人間は迷い、遠回りをする。 だからこそ尊くて美しい。 ラストの海のシーンと、引用されたリンカーンの言葉に、そう思った。 |
(2005/9/12) [movietop] |