アリゾナ・ドリーム
ARIZONA DREAM

監督 : エミール・クストリッツァ
製作 : クローディー・オサール
脚本 : デヴィッド・アトキンス   エミール・クストリッツァ
撮影 : ヴィルコ・フィラチ
音楽 : ゴラン・ブレゴヴィッチ
主題歌 : イギー・ポップ
 
出演 : ジョニー・デップ(アクセル)
    ジェリー・ルイス(レオ)
    フェイ・ダナウェイ(エレーヌ)
    リリ・テイラー(グレース)
    ヴィンセント・ギャロ(ポール)
   ポーリーナ・ポリスコワ(ミリー)

(1992 フランス)


  すごく現実離れしてファンタジックである一方で、重苦しくどことなく悲しく暗い部分も併せ持つ…そういう映画だ。
主人公アクセル(ジョニー・デップ)は、アリゾナにある叔父レオの営む車屋を手伝うことになった。
アクセルの従兄弟ポール(ヴィンセント・ギャロ)は俳優になる夢を持ちながらもやはり車屋を手伝いながら、オーディションを受け続けている。
ある日彼等の店に客としてやってきた風変わりな母娘。
母エレーヌは美しくセクシーで、一方娘は知的でありながらも屈折していて、奔放で子どもっぽい母を憎んでいる…かのように見える。
母は空を飛ぶ夢を、娘は自殺願望を抱きながら、お互いに反目し激しく傷つけ合いながらそれでも共に暮らす二人。
アクセルはエレーヌに恋をし、そんな母娘の家に同居し始める。

 映画の冒頭で流れる、アクセルが見るイヌイットの不思議な夢の話がある。
その夢がストーリーの流れの底に同時進行していて、夢に出てくるイヌイットが釣り上げた魚(おひょう)が、ときおり映画の中の現実世界で空中を泳ぎ回ったりする。
アクセルの意識と無意識を、現実と非現実を繋いでいるかのような、幻想的で不可思議な光景だ。
因みに、おひょうという魚はカレイ科で、幼魚の時は目が片側に1つずつついているのに、成魚になると片側に2つになる。
それが「大人になることによって得るものと失うもの」…という永遠のテーマを象徴しているあたりも、シリアスでありナンセンスでもある。

そうしたすべてをひっくるめたその外側を、ユーモアやジョークが覆っているというのがこの映画の印象だ。
シュールさとファンタジー、相反する2つの要素をうまくあやつるバランスは監督の繊細な感性を感じさせる。
作品の背景ともなる切ないようでブラックな独特のユーモアセンスは、ポールを演じるヴィンセント・ギャロの得意とする表現だ。
ギャロという役者さんの存在感そのものが、かっこよさと切なさと滑稽さと…絶妙なバランスで成り立っているように思う。

ジョニー・デップとヴィンセント・ギャロ両方のファンである私にとっては、若く美しい彼等の姿をただ観ているだけで充分価値のある映画ではあったけれど、この作品の他のキャストからも解るようにこれはとても個性的で強いキャラクター同士が絡み合う非凡で見応えのある内容だった。
賛否は分かれるかもしれない。
何を言いたいのか、何の脈絡でこの流れなのか、最後まで訳がわからず一体これは何なのだ…と不可解なまま放り出された感覚を持つかもしれないが、きっともう一度見てみたくなるような妖しい引力を持っている作品だ。

1993年、ベルリン映画祭銀熊賞を受賞している。

 

(2007/5/19)
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