バスキア
Basquiat


監督:ジュリアン・シュナーベル

出演:ジェフリー・ライト(Jean Michel Basquiat)
   マイケル・ウィンコット(Rene Ricard)
   ベニキオ・デル・トロ(Benny Dalmau)
    クレア・フォーラーニ(Gina Cardinale)
   デヴィッド・ボウイ(Andy Warhol )

(1996 アメリカ)
 


 ジャン・ミシェル・バスキアは、1960年ニューヨークに生まれ、27才でこの世を去った画家である。
これは、80年代のニューヨークで、アーティストとしてのあまりに短い時を駆け抜けたバスキアの伝記映画だ。

監督、脚本のジュリアン・シュナーベルは、バスキアの友人だった人で、彼もまた現代美術作家であり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバムジャケットデザインなども手がけている。
監督としてはこの映画が処女作にあたるらしく、そのため映画の出来としては今ひとつかもしれない。
しかし、友人としての主観を抑え淡々と描いてあるところに、むしろ監督のバスキアに対する視線の暖かさを感じる。
バスキアの内面や芸術家としてのイマジネーションの世界を、シュナーベルなりの解釈で映像に表現しようと試みている。

 また音楽も、当時のものがふんだんに使われていて素晴らしかったし、パンク系の曲も入っているが全体的には優しくゆったりと流れている。

 映画のオープニング、黒人の母親とその小さな息子が手を繋いで歩いている場面が映し出される。
母親は何故か泣いている。
それを怪訝そうに心配そうに見上げる息子。
けれど母が次に息子の姿を見下ろした、その時、彼の頭上には光り輝く王冠が・・・。
涙に濡れたままの顔で愛おしそうに微笑む母親。

 そして映画は、パブリック・イメージ・リミテッドのナンバーが流れる中、美術評論家ルネ(マイケル・ウィンコット)のモノローグで始まる。
ルネはヴアン・ゴッホについて語る。

  生前、誰にも認められず、たった一枚の絵しか売れることの亡かった天才画家ゴッホ。
  その絵のもらい手すらいなかったという。
  そのゴッホの才能を見抜けなかった美術界の反省。
  
ルネは、"第二のゴッホを見逃すことはしない"と、このモノローグで語るのだ。

 アーティスト志望の若者バスキア(ジェフリー・ライト)の才能を見出し、成功のきっかけを作ったのがこのルネである。
ストリートで、自由に絵を描いていた頃のバスキアは、いかにも生き生きとして楽しそうだった。
彼の歩き方、しゃべり方、表情、どれもこれもが愛らしい。
恋人のジーナ(クレア・フォーラニ)との会話も幸せに満ちている。

 バスキアが描いた"家族の肖像"を前にしての二人の会話。

  "完成ね。"
  "赤ん坊がいるな"
  "あなたの?"
  "僕のじゃ悪い?"
  "あなたが赤ん坊よ。"
 
バスキアのこの赤ん坊のような表情や仕草を、ジェフリー・ライトはチャーミングに演じている。

 演じると言えば、アンディ・ウォーホル役のデヴィッド・ボウイがはまり役だ。
この作品の見所のひとつは脇役の豪華さだろう。
画家仲間のマイロをゲイリー・オールドマンが演じているが、これは当時の監督の役だということだ。
また、テータム・オニールやコートニー・ラヴも出演している。
 売れない頃のバスキアがともに画廊で仕事をした電気技師グレッグをウィレム・デフォーが、
一躍有名になってからインタビューを受ける場面での記者役をクリストファー・ウォーケンが演じている。
しかし今回二人とも、もったいないくらいのチョイ役だ。
チョイ役の極致はヴィンセント・ギャロで、この人はどこで出てきたのかも私にはわらかなかった。
ヴィンセントギャロって、バスキアのかつてのバンド仲間だったらしい。
だからライブとパーティーの場面かなと目を凝らしていたが、情けないことに見つからない。

(誰か教えてください)

 さて、急にメジャーになったバスキアは、良くある話だけれど、何かを得るかわりに何かを失うという落とし穴にはまる。
才能の枯渇と言われ、ウォーホルとの友情を打算的な見方で噂され、ますます苦しみの中で絵に没頭していく。

 けれど、変わり者と言われるウォーホルとの友情は本物だ。
お互いの才能を真に理解し合っている二人だからこそ、少ない言葉でコミュニケーションするシーン。
壁一面の巨大なカンバスに、代わる代わる書き加えていく、デヴィッド・ボウイとジェフリー・ライトの2ショットはゾクゾクするほど素敵だ。



=========================これよりネタバレを含みます============================














 そのウォーホルの突然の死。
バスキアはこの後、ドラッグに溺れ、やがてウォーホルの後を追うように、麻薬の過剰摂取により27歳の若さで短い生涯を閉じるのであるが、しかしこの映画のラストはバスキアの死ではない。
親友ベニーに、バスキアが「ある物語」を語って終わるのだ。
それは、少年の頃のバスキアが、母親から聞いた物語。

   幼い王子が、魔法使いにさらわれ、声を奪われ、塔に閉じこめられた。
  声を出せない王子は、その王冠を鉄格子にぶつけ助けを求める。
  その音は何キロも先まで響き渡り、人々はその音の美しさに酔いしれる。
  王子は発見されず、塔から救い出されることはなかった。
  だけどその美しい王冠の音は
  ・・・人々に美をもたらした。

 オープニングの少年の王冠・・・監督が言いたかったバスキアのもたらした美が、あの王冠に込められていたことが解るのだ。
バスキアの母は、当時ずっと精神病院に入っていた。
バスキアは救われなかったのだろうか。
発見されなかった王子のように、孤独だったのだろうか。

 バスキアの人生は王子のように切なかったけれど、けれどこの映画には、とがったものや弱いものを包み込む愛が、感じられます。



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