11.かなしみのクリスチアーネ
  (WIR KINDER VOM BAHNHOF ZOO)

  クリスチアーネ・F著/小林さとる訳




 この本は1981年の出版で、一時絶版となっていたようです。
その後またAmazonで見つけました。
著者はクリスチアーネ・Fとなっていますが、これはある二人の記者によるクリスチアーネからの聞き書きです。
原題は「われら動物園駅の子どもたち」"Wir kinder vom Bahnhof Zoo"といいます。
動物園駅というのは、クリスチアーネが売春をしていたツォー(Zoo)駅のことで、日本で言えば新宿や渋谷のような場所なのでしょうか。

クリスチアーネの両親は彼女が幼い頃に離婚し、母親と母親のボーイフレンドとの3人で暮らしていました。
クリスチアーネ 16歳

13歳の頃、サウンドというディスコに通い詰めるようになった頃から、彼女はLSDやハシシを試すようになり、いつしかヘロインに至ります。
そしてフィクサー(麻薬中毒)となって、薬物を買うお金欲しさに売春をするようになるまで、周囲の大人はまったく気づかず彼女を救うことが出来ませんでした。
クリスチアーネ本人は、その間自分自身でヘロインをコントロールできているという自信があり、けれどそれが実は全く間違っていて、すでに完全に中毒になって薬物に支配されてしまっていることに気づいた時、周囲の友人達は次々とヘロインのために死んでいき、クリスチアーネもまた死の恐怖と隣り合わせの日々を送るようになります。
中毒から脱するか、あるいは死かというところまで追いつめられて初めて、母親が彼女の現状に気づくのです。
そして、薬物からクリーンになることを試みては失敗し…を何度も何度も、あきれるほど繰り返す長い戦いが、さらにそこからまた始まることになるのです。
この本は、その間のクリスチアーネの心の動きや出来事が事細かに彼女の言葉で記されている貴重な体験談です。 
アッツェ(左)、     バプシー(右)
ともにヘロインで命を落としてしまいます

 当初、記者達はクリスチアーネに対する簡単な取材を行う予定でしたが、彼女の話す世界にとても興味を持つに至り一冊の本としてドイツで出版されました。
結果、ドイツ国内で300万部を越えるベストセラーとなり、特に当時のクリスチアーネと同じ10代の若者達が主な読者層であったようです。
その後1981年に映画化され、それもドイツでは大ヒットしています。

私が最初にクリスチアーネを知ったのは映画館でこの映画「クリスチーネF」を観た時でした。1981年か82年だったのだと思います。
主役や出演者は普通の少年少女からオーディションで選ばれ、リアルなセミドキュメンタリーとして作られたとても重いものでした。
バプシーが死の2ヵ月前に精神病院で書いたもの

クリスチアーネ役の少女はムンクの「思春期」を思わせる華奢な身体で、演技とはいえ彼女がその細い腕にヘロインを打ち、あどけない表情で客引きをするシーンの痛々しさ、そして言葉にならない得体の知れない怖さ。
彼女の自分自身に対する破壊衝動に共鳴してしまい、それに取り憑かれて逃れられない怖ろしさをずっと引きずっていました。
 
そして、私が二番目にクリスチアーネの存在を思い出したのは、少し話がそれてしまいますが、「魂の殺人―親は子どもに何をしたか (1983年)」という著書と出会ったときです。
著者アリス・ミラーは精神分析家の観点から『かなしみのクリスチアーネ』を取り上げ、多くの読者とは違う、また映画では全く触れられなかった箇所に注目しています。
それは薬物と出会ってからのクリスチアーネではなく、むしろこの本の冒頭、クリスチアーネが物心ついてから両親が離婚するまでの父と娘の関係でした。
クリスチアーネが自己破壊をせざるを得なかった理由、感情をコントロールするためにヘロインが不可欠だった真の理由を、彼女の幼少時代の環境から解き明かしていきます。

彼女の父は彼女が幼い頃日常的に家庭内で暴力を振るっていました。
いつ殴られるか判らない、何故殴られるのか判らない環境で、父を恐れながらも彼女は父を尊敬し続けていました。

 "私、父を憎んだことは一度もないの、ただ怖かっただけ、それに私いつでも父のことを自慢してたのよ。とっても動物好きだし、それにすごい車持ってる。"
このクリスチアーネの言葉を引用し、アリス・ミラーはこのように分析しています。
"子どもの寛大さにはまったく限りがなく、子どもは決して裏切りません。しかも、自分を情け容赦なくぶちのめす父が決して動物をいじめないからと言ってそういう父親を誇りに思ったりすらするのです。"

彼女は父の『理不尽な暴力』を『理にかなった暴力』にするために、自ら殴られる理由を作るようになっていきます。理想の父の虚像を壊さないために、自らを変えてしまうのです。
そして愛情と引き替えに自分の欲求や情動や気持ちを押さえることを学んできた彼女は、それらの感情を完全に手放し自己放棄することに、つまりクールでいることに全勢力傾けるようになります。
クリスチアーネは、大好きなデヴッド・ボウイーのコンサートに行く時にも、『クールでいる』ために薬物を使わなければなりませんでした。
また大好きなボーイフレンドのデトレフに対してもです。
アリス・ミラーが指摘するように、クリスチアーネの話の中には、所々にこの『クール』という言葉が出てきます。

クリスチアーネのボーイフレンド
       デトレフ

自分の感情が(良くも悪くも)動くことを、彼女は自分自身に許さなかったのです。

 二人の記者がクリスチアーネに取材をしたことは、彼女にとって大変な幸運だったとアリス・ミラーは書いています。
"おそらくクリスチアーネの全生涯にとって、思春期の決定的な局面を迎えていた彼女がみじめな運命に打ちひしがれ、終わりのない精神的孤独に苛まれた後にそこからぬけだし、自分の言うことに耳を傾けてくれ、わかってくれ、受け止めてくれ、心にかけてくれる人間に出会い、その人たちに話すという形で、自ら把握、認識する可能性を与えられたことは大きな意味のあることなのではないかと思われます。"

確かに多くの友人をヘロインで失いながらも、彼女は生き残り現在も元気でいるようです。




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