家族の肖像
GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO(Italy)
CONVERSATION PIECE (USA)
VIOLENCE ET PASSION (France)
監督: ルキノ・ヴィスコンティ
脚本: スーゾ・チェッキ・ダミーコ    
    エンリコ・メディオーリ
撮影: パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽: フランコ・マンニーノ
出演: バート・ランカスター (教授)
    ヘルムート・バーガー
   (コンラッド:ブルモンティ婦人の情夫)
    ドミニク・サンダ(教授の母)
    クラウディア・カルディナーレ (教授の妻)
    シルヴァーナ・マンガーノ(ブルモンティ婦人)
    クラウディア・マルサーニ(リエッタ:ブルモンティ婦人の娘)
    ステファノ・パトリッツィ(ステファノ)
(1974 伊・仏)

 ローマの古くて大きな家で、家族の肖像を描いた絵画に囲まれ静かに暮らしている老教授が主人公である。
25年もつとめている年老いたメイドが、立派な紳士ではあるが神経質で少し偏屈なところがありそうなこの老教授の性質を熟知しているかのようにかいがいしく身の回りの世話をしている。
明日も明後日も、老教授の命が絶えるまで正確な古時計の振り子のように規則正しく進む毎日。
おそらくそのはずだっただろう。
しかし、老教授の世界はある日を境に急に騒々しくなってしまうのだ。

空いているこの家の二階を間借りしたいという、いかにも図々しい人々がやってくる。
それがブルモンティ伯爵夫人と娘のリエッタ、娘の婚約者、そして婦人に囲われた若く美しい情夫コンラッド。

穏やかで品のいい教授の生活は、この教授が評するところの「不道徳で愚か」な人々によってため息をつく間もないような緊張感あふれる空気に占領されてしまう。
人嫌いふうではあるけれど、家族の肖像のコレクションが物語るようにどこか寂しさを秘めている老教授は、その繊細で誠実な人柄のせいもあってか、どうしてもこの人々に振り回され続けてしまい、毅然とした態度を示そうとするたびにいつも、はぐらかされてしまうのだ。
このブルモンティ婦人と娘、あまり頭が良さそうには見えないのだが処世術に長けているというか要領がいいというか、生きていく知恵だけは無意識に駆使できるタイプのようだ。
そんな彼等には腹立たしいことこの上なく、あまりにおっとりとしたスローペースな教授の対応にはジリジリハラハラしながら展開を見守ってしまうのだが、それでいていつの間にかこのこの滅茶苦茶な人たちのペースに観る側も飲み込まれてしまう。

彼等には老教授の存在が象徴する「死」と対照的な、「生命力」があり、静のもつ安定と対照的な躍動感やエネルギーがある。
好奇心と、無鉄砲な強さと、若い再生力…すべて教授と彼の今までの生活には無かったものだ。

そのようななかで、ブルモンティ婦人の情夫コンラッドは徐々に退廃的なこの一行とは全く違った一面を見せ始める。
音楽、絵画の話題に意外な知識と感受性を見せるコンラッドには教授も驚きを感じ、好奇心を刺激され、そしてこのミステリアスな青年と過ごす時間に久しく忘れていたときめきのようなものを感じて始める。
また、それと相反する臆病な迷いと不安の感情、駆け寄っては我に返って数歩引き返すことを繰り返すような教授の微妙な心理がバート・ランカスターによって痛々しく、そして暖かく表現されていて切ない。

監督ルキノヴィスコンティはこの老教授に自分自身を重ねたと言われるが、教授とコンラッドの関係にも、自身と若く美しい役者ヘルムート・バーガーを重ねたような気もしてならない。

また、途中教授の回想シーンで登場する母親役のドミニク・サンダが息をのむほど美しい。
本当に配役といい大道具や小道具、そして構図…この監督の美に対する感覚と強い思いは、右に出るものはいないまさに芸術だ。

因みに、米タイトルの「Conversation Piece」とは、「話の種」という意味で、例えば居間に置いてある絵画やレコードなどのように訪れた客人との話のきっかけを作る物のことをいうようだ。




(2007/2/6)


=====================ここからネタバレ=====================















 年を重ねることによって人は臆病になり保守的になる。
老教授の当初の生活も、決して傷つけ合うことのない家族…つまり絵画の中の「家族の肖像」に囲まれている。
彼が保守的になるのは、その性質故でもあるのだろうけれど、傷ついても立ち上がる、傷を再生するエネルギーというものを年齢と共に失っていることに彼自身気づいているからだろう。
否応なしにこの間借り人達に巻き込まれながら何度ももとの生活の安定を取り戻そうとする教授であるが、現実は意に反した方向へ進む。
人と関わることによって得るものと失うもの、それを長い人生から充分に学びながら、けれど次第に、それでももう一度人と関わろうとした教授に、ヴィスコンティは自身の持つテーマを託したのだと思う。

そして悲劇的なラストを迎えるのだが、この、老体に背負う絶望または再生不可能な痛手という大きなリスクをおかしてでも、生涯人と関わり続けていくことを選ぶ監督の強い意志表示のようにも思える。

謎を残すラスト、そしてエンドロールの背景となる教授の悲痛な姿を見ながら、静かだけれどなんと壮絶な映画なのだろうと、監督の心の奥の深さをのぞき込んだような気がした。

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