Dancer in the Dark http://www.finelinefeatures.com/sites/ditd/ 監督 : ラース・フォン・トリアー 出演 : ビヨーク(セルマ) カトリーヌ・ドヌーブ(キャシー) デビッド・モース(ビル) ピーター・ストーメア(ジェフ) セルマ役のビヨークは、ミュージシャンでもある。
彼女はこの映画の中で、子どものように愛らしく、そして時に不細工で、けれど力強く映画の中に引き込んでいく強い魅力を発揮していた。 役作り云々というよりむしろ、ビヨークのために書かれた脚本かと思うくらい同化しているように見えるのは、彼女の演技とスタッフの力なのだろうけど。 監督は、「奇跡の海」の、あのドグマ95の、ラース・フォン・トリアーだ。 シングルマザーのセルマは、遺伝性の病気のため間もなく失明する運命を背負っていた。 当然彼女の一人息子もまた、いずれ同じ運命を辿る。 けれども息子にだけは…と、貧しいながらもセルマは懸命に働いて倹約し、少しずつ貯金をしていた。 息子が13歳になるまでに手術を受けさせ、自分と同じ病から救い出そうと。 そしてあと少しで手術代がたまるというところまでこぎ着けた。 その頃、彼女の目はほとんど見えなくなっていた。 けれど、ある出来事から、セルマの運命はさらに残酷な方へとひきずられて行くのである。 映画の構成はミュージカルになっている。 ビヨークが歌い踊るシーンでだけ、彼女は生き生きと輝き、くったくのない笑顔を見せる。 心底楽しそうな笑顔…その一時だけ非現実の世界にセルマは居る。 けれど音楽が止まると同時に、セルマの空想癖もストップし、引き戻された現実世界はあいかわらず彼女に残酷だった。 セルマは頼れる心優しい友人達に囲まれており、カトリーヌ・ドヌーブが演じる姉御のような同僚キャシーは、最後の最後まで彼女を支え続ける一人だ。 セルマと共に工場で働くキャシーからは、当然ゴージャスなカトリーヌ・ドヌーブの姿を全く想像できないのだが、やはりさすが大女優だなぁと思う。 『奇跡の海』のカトリン・カートリッジ同様、全体のレベルをそこここでアップしているのはこの人の力だと思う。 記憶が曖昧なのだが、この映画を観終えて以前日本で起きた小さな事件を思い出した。 非常に敬虔なクリスチャンの、一人暮らしの男性がいた。 彼は、信仰を貫き、持てるものすべてを与え、すべてを受け入れた。 その結果、彼の身に訪れた運命は、死だった。 彼の家は、少年少女達のたまり場になり、入り浸るようになった少年少女達のストレスのはけ口となり、無抵抗のまま殺害されたのだ。 あのニュースを聞いた時の不快感が、この映画を見てよみがえった。 このストーリーから希望を見出すのは難しい。 けれど、監督の描きたかったものは、まさにその「希望」なのだろうと思う。 きっとその希望というのは、状況に左右されない、どんな暗闇でも輝くことの出来るような、強い光となるようなものなのだろう。 (2004/9/20) この監督の作品では、ラストシーンがとても大きな役割を持つと思う。 私は、最後の最後まで、いつか大どんでん返しがあるはずだと思いこんで観ていた。 そこまで理不尽なラストは、映画の世界ではあるはずがない…と。 なんでこんな映画を作っちゃったんだろう。 ラストシーンを見ながらそう思った人は多いんじゃないだろうか。 救いがなく、ただただやりきれないばかりで、どこまでも落ちていくような気分の中で、最後のメッセージだけが微かに救いの手がかりとなる。 「ミュージカルは最後から2曲目で席を立つの。そうすれば永遠に終わらないから。」というセルマの言葉とこのラストのメッセージ。 観る者がなんとかしてそこから救いを見出せるなら、もしかしたらその人は、たとえ過酷な運命の中にいても幸福を見つけだすことが出来るすべを手に入れたのかもしれない。 |