ベルリン、僕らの革命
THE EDUKATORS
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監督・脚本 : ハンス・ワインガルトナー 
音楽 : アンドレアス・ヴォドラシュケ 
出演 : ダニエル・ブリュール(ヤン)
    ユリア・イェンチ(ユール)
    スタイプ・エルツェッグ(ピーター)
    ブルクハルト・クラウスナー(ハーデンベルク)
(2004 ドイツ/オーストリア )

  なんとも切ない気持ちが後々まで残る青春映画だった。
60年代後半の学生運動通り過ぎてきた世代には、さらに胸を締め付ける話だと思う。
昔々ヒットした「いちご白書をもう一度」というフォークソングに「就職が決まって、髪を切ってきた時、『もう若くないさ』と君に言い訳したね。」という歌詞があったっけ。
その、言い訳した世代に、「なんで変わってしまったんだ」…と、主人公達が理想を正面からぶつけてくる…という感じだ。
そういう意味で、『大人』の心をかき乱す映画であるし、同時に現在の若い人々にとっても、「それでいいのか、今の自分で良いのか」と問いかける映画でもある。

 主人公ヤンとその親友ピーターは一見普通の学生だが、実は世間を騒がす『エデュケーターズ(教育者)』だ。
夜になると大富豪の留守中の邸宅に忍び込み、椅子を積み上げてオブジェを作ったり、勝手に模様替えをしたり、冷蔵庫の中に写真をしまったり、横になっている家具を立ててみたり、そして最後に「贅沢は終わりだ」「財産がありすぎる」などというメッセージを置いて何ひとつ盗らずに帰っていく。
富裕層が優遇される社会への彼らなりの革命だ。
ところが、二人の秘密だったその小さな革命を、ヤンがピーターの恋人ユールに打ち明けたことから、話は面倒なことになっていく。

 ある豪邸の主と運悪く遭遇してしまったことから、この反逆者3人は追いつめられた挙げ句の果てに、しかたなくその主、ハーデンベルクを誘拐、山荘に立てこもることになる。
ところが、このハーデンベルクという大富豪は、実はかつてバリバリの硬派左翼運動家だった…という皮肉。
理想対現実がぶつかり、大人対子どもが命がけで議論し、お互いの主義主張、果ては人生のぶつかり合いとなっていく。
そこに、3人の若者の恋愛、それを間近で見ながら昔の恋愛を重ねるハーデンベルクの姿が絡んでいき、美しい自然の中にぽつんと建つ山荘で、4人の共同生活は、なんとも言えない緊張感と暖かさを共存させた、不思議なものになっていく。

 話の結末、どちらがどちらに破れるのか…、とても気になるところなのだが、これがまた最後の最後まで息が抜けず、結論が解らない。

映画の、特に前半では、ヤン達の若さゆえの甘さのようなもの、それは大人に言わせれば机上の論理のようなものや、自己中心的な屁理屈のようなものが目立って、少し引っかかる。
監督が学生運動の経験者で、この主人公達に思い入れを強くしている部分が、そのへんの甘さになっているのかもしれない。
または、一見冷静なエデュケーターズを装いながらも、中身は暴走する子どもっぽいところをたくさん残している彼らを描く一つのディテールだったかもしれない。

主人公ヤンには、「グッバイ、レーニン!」で孝行息子を演じたダニエル・ブリュールが、ちょっと大人っぽくなって登場する。
このダニエル君は、最近なかなかの人気だそうだ。
そして同じく「グッバイ、レーニン!」で西ドイツに亡命したお父さんを演じたブルクハルト・クラウスナーが、ここでも大富豪ハーデンベルクを演じている。
微妙な大人心…、決して子どもの心を失い切れていない、だからこそ葛藤する大人を、魅力的に表現している。

 音楽は前半、ほとんどアップテンポなロックが使われているのだが、ラストに近づいたところで ジェフ・バックリィの「ハレルヤ」("Grace"disk1 T6)が静かに流れ始める。(これはカヴァーで元曲はレナード・コーエン("Various Positions" T5)が歌っている)

確かに全編通して、色々と強引な設定が気になるが、ストレートで情熱的で衝動的で、理想にあふれ妥協が無く、それでいてとても危うく脆い彼らを見ているうちに、大人は懐かしい気持ちになるだろう。
一方で誘拐されたハーデンベルクは、冷静さと、落ち着きのある余裕の隙間から、時折迷いが垣間見え、それが彼の人間性を徐々に浮き彫りにしていき、所々で若者達を包み込むような包容力と父親のような暖かさからにじみ出るちょっとした仕草に、胸が熱くなる場面がある。

 とにかく、ラストがかっこいい。
ドイツで上映されたものは、ラストワンシーン多いそうだ。
…が、その詳細はネタバレで…。


 
(2005/6/1)
[movietop]

=========ここからはネタばれです============
















 この映画をご覧になった方は、このラストをどう解釈されただろうか。
私は、誘拐されてからかつての自分を思い出し若者に共感していくハーデンベルクに、かなり感情移入していたため、彼が警察に嘘の居場所を通報し彼らを助け、そして空き部屋にあったあの「君たちは一生変わらない」というメッセージも、ハーデンベルクがヤン達に宛てたものだという、かなりハーデンベルクびいきの解釈をした。
しかし、その後オフィシャルサイトの数ある短いレビューの中の一つに、あのメッセージは彼らが警察に宛てて書いたものだという見解の文章を見つけて、ちょっとがっくりしてしまった。
これでは、ハーデンベルクが彼らを裏切ったということに他ならない。
結局私は、自分なりに、このラスト、見るものの解釈にゆだねられているのではという所に今は落ち着いている。

 もうひとつ、ちょっと嬉しい情報として、日本で上映されたものにはなかったシーンが、オリジナル版にはあるというのを知った。
それは、ヤン達が、着飾った姿でヨットに乗って、映画の後半にヤンが見せる写真の中のあの場所に向かっているシーンである。

 このシーンがラストにあるだけで、解釈は変わってくる。
ハーデンベルクが提供したヨットだとすれば、彼は明らかにヤン達の頼れる協力者となったことになるし、あのメッセージも、ハーデンベルクが書いたものであれば、警察に宛てたものだとしても、彼らに宛てたものだとしても、思い切り爽快なラストシーンとなるではないか。

 それにしても、このシーンを削った監督の意図は何だろう。

とにかく、子ども達の理想と、大人の現実の世界は、いかなる時代にもいかなる場所でも対立するもの。
そう簡単には相容れない、永遠にぶつかり続けるテーマ…答えの出ないテーマ…ということなのかもしれない。

[movietop]


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