http://www.elephant-movie.com/elep_index.htm 製作総指揮 : ダイアン・キートン ビル・ロビンソン 出演 : ジョン・ロビンソン(ジョン) アレックス・フロスト(アレックス) エリック・デューレン(エリック) イライアス・マッコネル(イーライ) ジョーダン・テイラー(ジョーダン) ティモシー・ボトムズ(ジョンの父) 2003 米) 銃社会、病んだアメリカを象徴するかのようなショッキングなこの事件は、マイケル・ムーア監督が「ボーリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画としても扱ったが、ガス・ヴァン・サント監督は普通の高校生の中からオーディションで選んだ出演者ばかりを使い、この事件の起きた日の朝から事件が発生するまでの時間を淡々と描いた映画を作った。 ほとんど台本のない、高校生たちのアドリブを多用した構成に、背後に流れる「月光」と「エリーゼのために」、そして場面の切り替わりごとにはさまれる空の映像が印象的だ。 学校という場は、楽しい出来事のたくさん詰まった青春のステージともいえるけれど、別のある人間にとっては地獄のような、一日一日生きるのが精一杯の過酷な戦場かもしれない。 スポーツで汗を流し友情を育くむ成長の場、共通の迷いを持つ友人たちとの分かち合いや探求の場でもあれば、屈辱の中で憎しみを増大させる場にもなるだろう。 それぞれの高校生は、ここでさまざまに楽しい時を過ごしさまざまな悩みを持って日々を送る。 けれど誰もが、かけがえのない存在であり、かけがえのない人生を生きていることだけは共通しているはずだ。 いつもと同じように始まったその日。 ジョンはアルコール中毒の親に手を焼きながら遅刻して登校、さっそく校長に呼び出しを食らう。 イーライは写真に夢中、たまたま通りかかった高校生カップルの写真を撮っては暗室向かう。 ネイサンはガールフレンドと待ち合わせ、仲良く手をつないで廊下を歩いていく。 そんなネイサンとガールフレンドの噂話をする3人組の女子高生たちは、ダイエットのためにたった今食べたものをトイレで吐いている。 授業中先生の目を盗んである男子生徒がアレックスにぬれたティッシュを投げつける。 いつもの事、いつものいじめ、その後アレックスは生徒たちでにぎわう食堂の喧騒の中で、突然耐え切れなくなって頭を抱える。 エリックはそんなアレックスの家をたずね、彼の部屋でパソコンのシューティングゲームを始める。 体育の授業、ミシェルは他の女子生徒のように短パンを履くことが出来ず、そのことで先生に注意を受ける。 彼女は他の子たちと一緒にシャワーを使うことも出来ず、一人で着替えをしているところに、他の女生徒の陰口が聞こえる。 ダサいわね・・・。 これら一人一人の高校生に起きるこの日の朝の出来事を、登場人物の数と同じ回数、それぞれの視点で撮影する手法をとっているため、観客はあらゆる登場人物の立場になり代わって、ひとつの出来事を繰り返し体験することになる。 そして、彼らの中の二人が、この銃乱射事件を起こすに至るのである。 「エレファント」というタイトルにまつわる話が監督のインタビューの中にある。 今はすでに亡くなってしまったアラン・クラーク監督の撮ったBBC作品に同名の映画があったそうだ。 アイルランド紛争を扱った作品で、紛争の暴力と対立を、特定の指導者のみに焦点を合わせず、あえて物語性をそぎ落として描いたものだという。 ガス・ヴァン・サント監督はその作品と同じ名前を、現代の暴力を描いた自らの作品につけた。 暴力に対するアプローチに、クラーク監督と共通するものを感じたからだろう。 もうひとつ、このタイトルを解説にするに当たり、ガス・ヴァン・サント監督は中国の寓話を引用する。 盲目の僧侶ばかりが数人、象の周りに集い、各々その巨大な象に触れる。 その後、僧侶たちは自分の認識した象の姿について、それぞれがばらばらの印象を語るという話だ。 けれども彼らは皆、象の一部のみに触れて、象を語っているに過ぎなかった。 あるものは牙を、あるものは耳を、あるものは尾を、それ自体が象そのものだと主張するのである。 結局象の全体を理解できたものはいない。 監督はこの寓話をこの作品に重ねている。 高校の中で起こった生徒による銃の乱射という暴力、その事件が抱える巨大な問題点、それを巨大な象に例えるのだろう。 この映画を見終えた後の不安感と爽快感は、特定の登場人物に感情移入することができなかった不安定な気持ちと、相反するそれゆえの清々しさのように思える。 私たちは身の回りで何か事件がおきるたびに、「何が悪かったのか」「誰が悪かったのか」、慌てて原因探しをし、安易に判定を下し、「家庭環境」「心の闇」「内向的」・・・とにかくレッテルを貼り急ぐように思う。 だから、このようにただ事実を並べたままで放り出されると、戸惑ってしまうのかもしれない。 短絡的なレッテル貼りにうんざりしながらも、いつのまにか染まってしまっているとしたら、きっとこの映画がそこから引き戻してくれるだろう。 それは決して心地よいばかりの場所ではなく、むしろ不安に心をかき乱される場所かもしれないが、少なくとも、「私が知っているのは象の一部ではないのか・・」と考えることの必要性を気づかせてくれるだろう。 ガス・ヴァン・サント監督は、この映画の中に観客が考える時間をたっぷりとったと語っていた。 普通ならカットするような単調な場面、例えば、校舎の廊下を歩いていく姿を延々背後から追っていく場面などがあえて使われている。 次から次から考える間もなく場面が切り替わりストーリーを追い続けラストまで息をつかせないようなタイプの映画も楽しいのだが、それとは対照的だ。 ■おまけ■ この映画のAssociate Producer として、JT・リロイが名を連ねていますが、彼はこの脚本の第一稿を書いたのだそうだです。 もうすぐ公開されるJT・リロイの自伝的小説をもとにした映画『サラ、いつわりの祈り』には、この「エレファント」で一躍有名になった主演のジョン・ロビンソンがサラの弟役で出演しているようです。 どこか忘れ難い独特の雰囲気を持った彼の、別の一面を見るのも楽しみです。 この映画の題材となった事件についてとりあげている、たいへん参考になるサイトがあったのでリンクしておきます。 プロファイル研究所 管理人とまとさんによるトレンチコートマフィア乱射事件 フリージャーナリスト大野和基さんのリポート乱射高校生ホームページの皆殺し予告 |
(2005/4/29) [movietop] |