http://www.gaga.ne.jp/pearl/ 出演 : スカーレット・ヨハンソン(グリート)、 コリン・ファース(フェルメール)、 トム・ウィルキンソン(ファン・ライフェン)、 キリアン・マーフィ(ピーター) (2003 英) 公開されたときに是非観たいと思いながらも機会を逸してしまったので、今回レンタル開始とともに早速観てみた。 フェルメール…まぁ、特に好きな画家というわけではないが、完璧な構図、美しい光と影を表現する画家だという印象があった。 私が、彼の置かれた創作環境やその作品の背後の人生に興味を持ったのはこの映画の存在を知ってからだ。 フェルメールの作品は、わずか35点しか現存するものが無く、また彼の生涯についても謎が多くあまり知られていない。 この映画の原作者トレイシー・シュヴァリエは、この絵からインスピレーションを受け小説を書いたいきさつをこんなふうに語っている。
その疑問から、トレイシー・シュヴァリエはこのモデルとなった少女グリートとフェルメールとの間に起きた官能的な物語を作り上げたのである。 官能的と言っても、フェルメールとグリートとの間にはいわゆるラブシーンはおろか、お互いに対する思いをはっきりと表現するような場面すら、いっさい描かれていない。 けれど、画家と画家の家に雇われた豊かな感性を持つ使用人との間にやりとりされる感情の嵐は、実に官能的でどんな肉体的行為をも越えた真の人と人との交わりを感じる。 それは、フェルメールの妻…まるで子供のようでありながら高いプライドを持った妻が、狂ったように嫉妬する場面が証明している。 完成された絵を見せるようにフェルメールに迫る妻に、力づくでもそれを阻止しようとするフェルメール。 けれどついにその絵にかかった布を取り外した瞬間、彼の妻は、夫とこの少女がアトリエにおいて日々交わしていた深い交流に決して自分が入り込むことが出来ないことを瞬時に悟った。 彼女は直感の女性だったのだろう。 「なぜ私じゃないの?」 妻が発したその一言にすべてが集約されているように思う。 フェルメールの子どもを何人も産み、そして今新しい命が妻の体に宿っている。 けれど、夫と使用人の間に宿った新しい命、それはかつて彼女が決して夫と共有できなかった芸術という生命。 そのことに、気が狂わんばかりに嫉妬したのだろう。 そしてさらにモデルの少女グリートは、妻の持ち物である真珠の耳飾りを付けていたのである。
贅沢な生活を望む妻をはじめとする大家族を養うには、画家の創作はあまりにゆっくりで、そのためしたたかな義母はパトロンのファン・ライフェンをつなぎ止めるためにあれこれと画策するのである。 そのような、いわば下世話な雑事に翻弄されていたからこそ、余計に、フェルメールの描く世界は、逆に静寂で高貴な空気が漂うのかもしれない。 嫉妬に狂ったフェルメールの妻は、グリートに向かって、この家から出ていけ、と叫ぶ。 天才画家と一人の少女が産み出した一枚の名作は、多くのものを犠牲にして命を得た。 そんなふうに空想しながらこの絵を再び観ると、確かに少女の目はフェルメールをじっと見返しているように見える。 彼への尊敬と、畏れと、戸惑いと、今ここにある自分への自負と、この瞬間幸福の絶頂にいる歓びと、それらすべてをその眼差しに秘めているように見える。
『水差しを持つ女』の創作中に、アトリエの掃除をするグリートがモチーフの一つとなっていた椅子を動かしてどけてしまうシーンがある。 それに気づいたフェルメールは、彼女の選択を黙って取り入れる。 グリートが持つ天賦の才能にフェルメールが一目置いていることが解るシーンだ。 このストーリーの背後には、この絵をX線で観ると、当初椅子が描かれており、それを上から消し去ったことがわかるという事実をもとにつくられたエピソードだそうである。 またこの絵はその他にも映画の中でたくさんの役割を持っていた。 フェルメールとグリート二人だけのアトリエでのシーン。 描き始めたばかりのこの絵をじっと見つめながら、グリートはおずおずと「色が違う」とフェルメールに告げる。 絵の中の女の衣服は黒く塗られその他の部分も実際の色とはかけ離れた「下塗り」の状態になっていたため、グリートが疑問に感じたのだ。 フェルメールは、これは下塗りといって例えばここに薄く青をのせると…と、説明しながらグリートを「色と光」の世界に導くのだ。 その後窓から雲を眺めながら彼がさらに、あの雲が何色に見えるか、と問い、彼女は「白」と即答した後すぐに思い直し、「黄色、灰色…」と続け、新しい世界を発見した喜びを静かに表現する場面が感動的だ。 このエピソードで、青という色に焦点を当てているのも、いわゆる「フェルメールブルー」を意識しての言葉だろう。 屋根裏で画家のために無心にグリートが練っていたのも、この息をのむように美しい青だった。 このように映画全体がフェルメール作品を思い起こさせる美しい色調や大道具小道具でまとめられ、特にアトリエのシーンは彼の絵の面影を随所に感じる。 絵画が好きな人はもちろんだが、フェルメールファンが観ても、充分見応えのある映画ではないかと思う。 |
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2005/1/15 |