監督 : 行定勲
原作 : 三島由紀夫
脚本 : 伊藤ちひろ 佐藤信介
脚本監修 : 春名慶
撮影 : リー・ピンビン
音楽 : 岩代太郎
出演 : 妻夫木聡 (松枝清顕)
    竹内結子 (綾倉聡子)
    高岡蒼佑 (本多繁邦)
    及川光博 (洞院宮治典王殿下)  
    田口トモロヲ (松枝家執事の山田)
    石丸謙二郎 (綾倉伯爵) 宮崎美子 (綾倉伯爵夫人)  
    真野響子 (松枝侯爵夫人) 榎木孝明 (松枝侯爵)  大楠道代 (蓼科)  
    岸田今日子 (清顕の祖母) 若尾文子 (月修寺門跡)
( 2005 日本)
 天才的な作家の、多くの人々に読まれている著名な作品を映画化するというのは覚悟のいることだろう。
三島ファンは、並大抵の出来では決して満足しないだろうし、原作が完璧なものであれば余計に、それを映像として再現することは不可能だ。
その作業に果敢に挑戦した行定監督のインタビューをメイキングで見たが、彼は、三島作品に私たちの「フィルターをかけて…」という言い方をしていた。
平成の時代のスタッフが、大正初期の貴族社会…当然見たことのない光景、世界を、平成のフィルターをかけて撮り、それを平成の時代の人々が観る。
三島由紀夫は、この映画を観てどんなふうに思うのだろう。

 撮影のリー・ピンビンは、ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」などで活躍したアジアの名カメラマンで、同じくメイキングのインタビューで彼は、「映像に行間を作る」という言葉を使って今回の撮影を表現していた。
やはり、原作を意識してのことだが、それぞれの読者の脳裏にそれぞれの形で、すでに確立している「春の雪」の世界をそのまま残す余地…という意味での「行間」である。

そのような、スタッフの謙虚で勇敢な思いは、しっかり映画に表現されていたと思う。
衣装も風景も、様々なエピソードに使われる小道具も、皆とても美しい。
ただ一部CGがお粗末だった…という批判もちょっと耳にしたけれど。

 主人公の松枝清顕は、家柄も外見も経済力も知性も何かもを持った侯爵家の跡取りで、一方綾倉聡子は今は傾きかけているものの由緒正しき家柄の伯爵家の令嬢。
この二人ならばお似合いの、何の障害もないカップルのはずなのに、清顕の屈折した心が徐々にこの恋の行方を悲しいものへと変えていってしまう。
人一倍高いプライドと、心の中に悪魔的な部分を秘めている清顕は、自分の恋心を自分自身で認めることが出来ない。
それ故に二人の恋をこじらせてしまう…まあ、自業自得といえばそうなのだが、もう少し彼の心の内を丁寧に見つめていけば、このような状況に共感できる経験を多くの人が持っているだろうと思う。
その彼の複雑な心の動きは、やはり映画で表現するのは難しく少し説得力に欠ける部分はある。
そして清顕は、19歳…映画の中でも何度か出てくる言葉だが、ある意味では、まだ「ガキ」なのだ。
自分の恋心をうまくコントロールできなくても無理はない。
これが現代の普通の大学生であれば、ここまでの悲しい運命を辿るはずもないことだ。
ただ、彼の置かれている状況はそんな若気の至り的な失敗が許される余地がなく、また彼の頭の中の「恋愛」以外の部分はあまりに大人びていて、そのアンバランスさはどんどん彼自身を混乱させていってしまう。

儚いものが持つ美しさとか、不可能に魅せられてしまう人間の持つ切なさとか、それに命までかけてしまうような強さとか、そういう彼らの何もかもが美しくて悲しくて愛おしいと思える。
その中でも、控え目で押さえられた聡子の言動から時折にじみ出る、どきっとするような大胆さ…、燃えるような思いを短い一言に込めるシーンや、深い嘆きや祈りのような気持ちを一枚の百人一首の札に込めたりするエピソードには涙があふれた。

ただ、この流れからエンドロールに宇多田ヒカルはちょっと…違和感があるかも。
 
 


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