イディオッツ 監督・脚本 : ラース・フォン・トリアー 出演 : ボディル・ジャージェンセン(カレン) ジェンズ・アルビナス(ストファー) アンヌ・ルイズ・ハッシング(スザンヌ) (1998 デンマーク) 「奇跡の海」につづくラース・フォン・トリアー監督のドグマ95第2作目。
映画は、レストランで一人食事をする地味な中年女性のシーンから始まる…それが主人公のカレンだ。 そこには数組の客が食事を楽しんでいたが、その中のに障害者を含む3人のグループがいた。 知的障害が有ると思われる二人の男性のうち、一人の男(ストファー)は食事を食べるのを嫌がって皿をひっくり返す。 それをたしなめる世話役らしき女性と口論になり、彼は興奮してレストラン内の他の客達のテーブルに行き、わけの解らないことを口走ったり、食べ物を取り上げたりし始め、それに動揺したもう一人の障害者らしき男性は子どものように泣き出す。 その場はパニックになるが、レストラン内の客達は作り笑顔で彼等に理解のある振りを装い、頷いたり、されるがままになって微笑んだり。 しかし、見かねたウェイターは、そのグループにレストランを出るよう促す。 けれどストファーはさっきからカレンの手を握ったまま放そうとせず、世話役の女性を困らせる。 カレンは親切心からストファーと手を繋いだまま、そのグループと共にレストランを出る事にした。 けれど、乗り込んだタクシーの中で、カレンは予想外の真実を知る。 彼等は障害者を装い無銭飲食を繰り返すまったくの健常者だったのだ。 働かずに集団生活をする彼等のグループは、いつでもどこでも、好きな時に障害者になりきり、プールで泳ぎ、工場を見学し、クリスマスの飾りを売り歩き、乱交パーティーをした。 怒りと違和感を感じながらも何故か彼等に惹かれるカレンは、ストファーを中心とするその奇妙な集団と行動を共にするようになる。 イディオット(白痴)を演じる彼等は、日常に見切りをつけた、又はそこから逃げ出した人々なのだ。 ファシズムを嫌い、偽善を批判し、世間をあざ笑う彼等の目を通して、監督はイディオット(白痴)に対する健常者の反応を描き出す。 そうして「良い人」「理解者」であろうとする滑稽な人々の姿を浮き彫りにしながら、一方でイディオットを演じる彼等の側の偽善をも、徐々に暴いていくのだ。 順序が滅茶苦茶になったが、私が見た「黄金の心三部作」最後の作品だが、この三作で監督は徹底的にイノセントを追求した。 追求し、掘り下げるほどにイノセントは、白痴、愚鈍、ぎりぎりの紙一重の所まで近寄り、その象徴である主人公は苦痛のどん底を味わうに至る。 人間の心をそこまで丸裸にして不純物を徹底的に排除しようとするなら、その結果は決まっている。 私達が住むこの世界では、それは不幸でしかあり得ない。 その矛盾を、目を逸らさず凝視しろ…と観客の前に突き出すこの監督にはいつも不快な気持ちにさせられる。 でも、その矛盾に一番やりきれない思いを感じ、もてあましているのは、この監督自身なのかも知れない。 (2004/10/7)
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