ラストタンゴ・イン・パリ
LAST TANGO IN PARIS
ULTIMO TANGO A PARIGI
http://www.mgm.com/title_title.do?title_star=LASTTANG






監督 : ベルナルド・ベルトルッチ 
製作 : アルベルト・グリマルディ 
脚本 : ベルナルド・ベルトルッチ  フランコ・アルカッリ 
音楽 : ガトー・バルビエリ 
出演 : マーロン・ブランド(ポール)  マリア・シュナイダー(ジャンヌ )
    ジャン=ピエール・レオ  マッシモ・ジロッティ  カトリーヌ・アレグレ  
    カトリーヌ・ブレイヤ  ヴェロニカ・ラザール 
(1972 仏・伊)

 
 この作品を撮ったときのベルトルッチが31歳だったという事実には、びっくりする。
そしてこういう多くの人があらゆる感想を書き尽くしたであろう名作について、何か述べるのはちょっとひるんでしまうのだけど、…というか、だからこそ、この際すんなりと独りよがりな事を言ってみようかと思う。
この映画は、マーロン・ブランド演じるポールという中年男の彼の妻への愛の話だと思う。

 けれど、この夫婦のシーンといえば唯一、ポールが自殺した妻の遺体に語る長い長い独り言の場面だけだ。
それは自分を裏切っていた妻への罵りの言葉と、その後の、泣きながらの懺悔と謝罪の言葉。
ベッドに横たわり花に埋もれた妻の姿は、ポールのどんな言葉をも受け付けないほど美しくて、余計に彼の孤独を浮き彫りにする。

若いジャンヌとのやりとりも、彼女との様々なセックスシーンも、パリの街の美しい風景もみな、妻を失ったポールのあまりに大きな喪失と深い孤独をえがくためのものであるように思う。
耐え難い現実世界の出来事…妻の不貞と自殺…に、彼はどうにも向き合うことが出来ず、非現実に身をゆだねる以外に無い。
しかも、それは完全に現実と切り離され、できるだけ遠く離れた虚構でなければならず、名前も過去も微かな日常の気配もあってはならない。
ジャンヌと二人でいるときの威圧的で傲慢で強引な「名前の無い男」と、ところかまわず子どものように泣き出す情けない中年男が、そうして危うくバランスを取っている。
「ブラウン・バニー」でヴィンセント・ギャロが演じたバドもそうだったっけ。
大きな喪失を受け止めることの苦痛に、耐えきれずにのたうち回っている男の姿、彷徨っている魂とでも言おうか…。

けれど、きっと人間は悲しみをごまかすことも、先延ばしにすることも、うやむやにしてしまうことも出来ないってことなんだろう。
それをしようとしてバドのように時を止めて旅をしても、ポールのように見知らぬ女性との時間に逃避しても、そのひずみや無理は何かの形で現実をゆがませ、狂わせてしまうということなのかも知れない。
徐々に変わり始めたポールがジャンヌを現実としてとらえようとしたとき、その危ういバランスは崩れ若いジャンヌは混乱する。
あまりに切ないラストは、空しさとともにどこかほっとした気持ちも感じる。

あのバルコニーでのポールの表情は、きっとこの映画を観た人の目に焼きついて残るだろう。
見終えてあらためて、「ラストタンゴ・イン・パリ」…なんて素敵な悲しいタイトルだろうと思った。
(2006/2/6)
 



inserted by FC2 system