モンスター
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監督 : パティ・ジェンキンス
出演 : シャーリーズ・セロン
               (アイリーン・ウォーノス) 
       クリスティーナ・リッチ
             (セルビー・ウォール) 
    ブルース・ダーン(トーマス)
(2003年 米)

 この映画は「モンスター」と呼ばれたアメリカの連続殺人犯アイリーン・ウォーノスの話である。
彼女は逮捕されその後12年間服役した後、2年前の今月(2002年10月)に薬物による死刑が執行され今はもうこの世にいない。
死刑執行の前日「私は社会に殺されるんだ」と言い残した。
また、「私は戻ってくる」とも。
言葉通りアイリーンは、この映画を通して甦った。
…と、そう思えるくらい、アイリーン役のシャーリーズ・セロンの演技は鬼気迫るものがあった。
昨年のアカデミー賞主演女優賞の他、いくつかの賞を受賞した彼女の演技によって、アイリーン・ウォーノスは復活し、社会に対して最後の自己主張を成し遂げたのではないかと思う。

 (そういうわけで、ネタバレ部分が多くなります。)

 13歳の頃から娼婦をしながら生きてきたアイリーン(リー)は、ある日死を決意し、最後の所持金5ドルを使い果たすために入ったバーで運命的な出会いをする。
リーの席の隣に座ったのは、同性愛者であるセルビーだった。
セルビーは孤独をもてあまし、絶望していた。
少なくともセルビーには、案じてくれる父や幸せを願ってくれる叔母たちがいたが、彼女を決して理解しようとしない父親達の思いは、たとえそれがどれほど強いものであろうと彼女の孤独を救うどころか、ただ追いつめるばかりだった。
そういうセルビーを、リーは愛するようになる。
セルビーはリーを一人の人として認め、彼女を「綺麗」だと言った。
リーにとってそれが、人を愛し、愛される初めての体験だったのだろう。
幼い頃から性的暴力と裏切りの中で育ち、愛情とは無縁の人生を送ってきたリーにとって、道具としての彼女の身体ではなく彼女自身に意識を向けてくれるセルビーは、誰よりも何よりも大切な人となったに違いない。

 セルビーとの生活を始めるために、路上で客引きをしたリーは男から酷い暴力を受け、自分の命を守るために相手を射殺してしまう。クルマを奪い、金を奪ってセルビーを連れて逃げ出すが、二人で始めた生活は決して安らかなものにはならなかった。

 誰かを愛することで、人は強くなると同時に弱くなる。
愛することの力によって、封印していた五感が躍動し始めることは、リーにとって初めて出会う新たな苦しみの始まりになる。
それは、今まで体中にばらまかれた喜びや憎しみや悲しみの種子に、陽があたり水が与えられ芽を出すようなものだ。
がさつ極まりなかったリーの言動の中に、柔らかさと脆さが見え隠れするようになればなる程、彼女は次々と過ちを犯していくようになる。
セルビーのために、セルビーとの楽しい生活のために、リーが出来ることは身体を売ることぐらしいかなく、けれど、ものを感じる力を取り戻したリーにとってそれは、今までより遙かに苦痛を伴う行為になっていたのだろう。
リーは相手の男達を次々と射殺し車とお金を奪いながら、心も身体も荒んでいく。

 逮捕が目前に迫った予感から、ある日リーはセルビーを1人故郷に帰す選択をする。
最後の勇気と愛情をかき集め、セルビーの切符を買ったリーだが、別れ際「私を許して欲しい。私は自分の何もかもが許せないから。」と泣きじゃくる。


実際のアイリーン  アイリーンを演じるシャーリーズ・セロン  シャーリーズ・セロン
 

(2004/10/19)

====ここからネタバレですが、この映画に関してはあまり問題ないと思われます=====














 その後逮捕されたリーは、拘置所の電話でセルビーと話した時、裏切られたことを知る。
その電話は、警察がリーの自白を促すために仕掛けた罠であり、セルビーはそれに荷担していたのだ。
「普通の生活がしたいの。」電話越しのセルビーの泣き声に、リーは許しを請い謝罪し、愛するセルビーを巻き添えにしない方法…全面的に罪を認め、セルビーを共犯にしない方法を選んだ。
裁判で証言台に立ったセルビーがきっぱりとリーを指さした時、リーは涙を浮かべ微笑みながら何度も小さく頷いたように見えた。
それでいい、やっとあなたの幸せを守ることが出来た…という安らかな笑顔に見えた。
リーにとって、セルビーに許されることは彼女の人生でたった一つの願いだったのだろう。

 暴力的に自尊心を奪われた彼女には、多分幼い頃からすでに、自分を慈しむ心は存在しない。
だからこそ、もしかしたら人生でただ1人自分を愛してくれたというそれだけで、セルビーに自分の心も身体も捧げ尽くしてしまったのだろう。
セルビーの裏切りなどリーにとっては「許すべきもの」などではなく、それ以前に、愛する人に裏切られる自分こそが一番許せない存在なのに違いない。

 映画は死刑判決のシーンで終わっている。
私は、アイリーン(リー)がその後死までの12年間をどのように過ごしたかがとても気になった。
判決の日から、本当のアイリーンの苦しみが始まったのじゃないだろうか。
それとも、何かに救われることが出来たのだろうか。
それは、アイリーン・ウォーノスのもう一つの映画「シリアル・キラー・アイリーン」というドキュメンタリーで知ることが出来るようだ。

アイリーンの言葉にある「彼女を殺した社会」にとって、アイリーンの死はどんな意味を持つのだろう。
安全、秩序、被害者の救済…法とは何なのだろう。
「レイプされた女を死刑にする社会なんて!!」
法廷から連行されるアイリーンが残したこの言葉は極論で誰も耳を貸さないかも知れないけれど、少なくともこの映画を観た人には心をえぐる言葉だったはずだ。

決して納得の行く結末ではなかった。
アイリーンの死刑が…ではない。
彼女が死刑になるなら、それ以前に死刑になるはずの、裁かれなかった罪人達のことである。



「シリアル・キラー・アイリーン」についてと、実際のアイリーン・ウォーノスに関する詳細はこちらで
→ http://www.kingrecords-movie.com/aileen/index.htm





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