海を飛ぶ夢 翔年たちへ
ラモン・サンペドロ著(アーティストハウス) 
轟志津香・宮崎真紀・中川紀子 訳

「本書は単なる原作というより、この映画の哲学的支柱というべきものだ」
冒頭、『本書に寄せて』という文章の中で映画化した際の監督アレハンドロ・アメナーバルは、このように書いている。

 1943年スペインの小さな村で生まれたラモン・サンペドロ・カメランは、22歳のときから整備工として商船の乗組員となり世界中を旅した。
そんなふうに人生を謳歌していたラモンが、1968年の夏、実家近くの海で岩場から浅瀬に転落し頸椎を骨折、首から下の感覚を失い、四肢麻痺の障害とともに生きていくことを余儀なくされる。
映画では、それから28年の歳月の後の尊厳死を望むラモンの姿を中心に描いているが、原作となったこの著書にはストーリー性はなく、彼の書簡と詩を集め、ラモンの思想、哲学、特に生と死と愛についての彼の信念を浮き彫りにしている。
監督は深夜声を上げて泣くラモンの姿を映画の中に描いたが、それはこの著書の中で、彼が冷静に語る彼自身の地獄の苦しみの深さを映像で表現する手段だったのだろう。
ユーモアにあふれ明るく振る舞う、実際には決して涙を見せることがなかったというラモンの誇り高い性格を思うと、四肢麻痺という障害がどれほど屈辱的であったのか、奪われたプライバシーが、どれほど彼の生きる希望を蝕んだのかが伝わってくる。
ラモン・サンペドロ

ラモンは、彼の置かれている環境、友人や家族の愛情に恵まれた環境に心から感謝する一方で、何一つ自分では自由にならないその生活を『地獄』とよぶ。
そして、「そんな手紙をしたためて、地獄の住人は気分をまぎらわし、己に言い聞かせるのだ。結局のところ、ここもそれほど悪くはない、と」と、真実をねじ曲げることを強いられている今の環境を皮肉っている。
彼の真実とは、彼自身の欲求に素直になるという、いたってシンプルなことであるにもかかわらず、その欲求が『死』であるが故に叶わない。
何故なら、『死』は現代社会のタブーだからだろう。
目を背けたい、出来ることならギリギリまでその存在を意識しないでいたい事柄だから。
誰にとっても、間違いなく必ず訪れるものなのに…だ。
そして中でも、「故意に命を終わらせること」に対し、社会の多くの人々は逃げ腰である。
けれども、日々死に直面せざる終えない一握りの人々にとって、それは先延ばしに出来ない、目を背けることすら出来ない目前の問題なのだ。

家族に宛てた別れの手紙(全8ページ)
 ラモンの考えに、人々が賛否両論あるのは当たり前のことだ。
それぞれの立場、経験、思想、宗教によって『死』に対する思いは異なる。
死が誰にとっても未知の世界のもので、答えが出ないものだから、議論は尽きない。
けれど、苦痛は魂を浄化する? 死を望む理由は愛情が足りないから?…そんなはずはないだろう。
宗教や心理学で、十把一絡げにして彼の苦痛を語ってしまう人々の、その親切の向こうにある偽善こそが、ラモンのいう真実とは対極にあるものだ。
彼が望んでいたのは、本当のところ社会に『尊厳死』を認めさせることでも、『死』について議論することでもないのだと思う。
ラモンは、他の四肢麻痺をはじめとする障害を持つ人々や、宗教家や、裁判所に対し、「尊厳死」などという大仰な思想を押しつけたかったのではない。
にもかかわらず、彼らは彼らの哲学やルールでラモンを屈服させることに躍起になった。
だからラモンは、自分の唯一の望みをかなえるために、彼自身の真実のために、戦わざるを得なかった。

ラモンは、ただただ死を選ぶことによって、誰にも迷惑をかけずに、静かに地獄から抜け出したかっただけなのだと思う。

inserted by FC2 system